チェルシー・アカデミー出身のチャーリー・ムソンダが、28歳という若さで現役引退を発表しました。
少年時代から「アカデミー屈指の天才」と称され、多くの期待を背負っていた逸材。
しかし、その才能はついに完全に花開くことなく、プロキャリアに終止符を打つこととなりました。
ムソンダはベルギーの名門アンデルレヒトのアカデミー出身。
わずか15歳のとき、欧州中のビッグクラブが熱視線を送る中でチェルシーへの加入を決断しました。
チェルシーは彼の家族ごと迎え入れる形で支援し、兄2人もともにアカデミー入り。
生活・教育面でも手厚いサポートが用意され、「クラブ全体でムソンダを育てよう」という姿勢が感じられました。
チェルシー加入後はFAユースカップやUEFAユースリーグで活躍し、期待に沿う才能を見せていました。
15−16シーズンの後半には出場機会を得るため、レアル・ベティスにローン。
すぐにレギュラーとなり、期待が高まりましたが、翌シーズンのローンは監督交代や戦術変更などでうまくいきませんでした。
ベティスでのローンを経て、17-18シーズンにはコンテのもとでチェルシーのトップチームデビュー。
カラバオカップでのデビュー戦では得点を挙げ、涙を浮かべて喜ぶ姿が印象的でした。
しかし冬には出場機会を求めてセルティックへローン。
ここではほとんどプレーできず、キャリアが徐々に不安定になっていきます。
その後のフィテッセ(オランダ)へのローンが、キャリアのターニングポイントとなりました。
本来は2年間の契約でしたが、後十字靱帯を損傷する重傷を負い、出場わずか数試合でローン終了。
その後は2年近くに及ぶリハビリ生活を送ることになります。
出場機会がまったくないまま、チェルシーとの契約満了によって、22年5月にチェルシーを退団。
心機一転新たなキャリアを模索することとなりました。
その後は、レバンテで1シーズン、キプロスのクラブで1シーズン過ごし、23−24シーズン末からは所属チームがありませんでした。
キャリアとしては、通算で74試合出場と2得点を記録。
非常に大きな期待を背負った才能ですが、怪我によってキャリアを思い描いていた築くことはできませんでした。
ただ、怪我だけではなく、メンタル面でも周りとの衝突、SNSでチームメイトのフォローを一斉解除するなど未熟さが隠しきれていませんでした。
小さい頃からずっとチヤホヤされてきましたが、キャリア後半は不運を多く経験しました。
新たな人生はこの悔しさをいい方向に活かし、この経験があってこそと思えるような人生を歩んでくれることを願っています。




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